ARABICA
アラビカ種
Coffea arabica
現在、専門店や自家焙煎店で多く目にするコーヒー。香りや風味の多様さから、広く親しまれています。
このページでたどるのは、このアラビカです。
COFFEE DISCOVERY
一粒の豆から、
その始まりをたどる。
DISCOVERY
珈琲豆の商品資料には、産地や精製方法と一緒に「品種」が書かれています。
ティピカ、ブルボン、カトゥーラ、ゲイシャ。
ところが、エチオピアの生豆では少し違う表記に出会います。
ORIGIN ETHIOPIA
VARIETY在来種
PROCESS NATURAL
英語では、Ethiopian LandraceやEthiopian Heirloomと書かれていることもあります。
もうひとつ。
日本では昔から、エチオピアの珈琲を「モカ」と呼ぶことがありました。
けれど、モカはエチオピアの地名ではありません。
紅海を挟んだ向こう側、
イエメンにある港町の名前です。
なぜエチオピアの珈琲なのに、イエメンの港の名前が付いているのか。
そして、なぜティピカやブルボンではなく「在来種」と書かれることが多いのか。
この二つを少しずつ遡っていくと、現在私たちが飲んでいるアラビカ珈琲が、どこから来たのかが見えてきます。
COFFEE SPECIES
現在「珈琲」として知られるものの中でも、よく名前が挙がるのがアラビカ、カネフォラ(ロブスタ)、リベリカの3つです。
このページでは、その中でも現在もっとも広く飲まれているアラビカを中心にたどります。
ARABICA
Coffea arabica
現在、専門店や自家焙煎店で多く目にするコーヒー。香りや風味の多様さから、広く親しまれています。
このページでたどるのは、このアラビカです。
CANEPHORA
Coffea canephora
一般には「ロブスタ」の名で知られるコーヒー。日本では単独の焙煎豆として見る機会は少なく、インスタントやブレンド原料として使われることが多い種です。
LIBERICA
Coffea liberica
生産量は少なく、日本で目にする機会も多くありません。けれど、コーヒーという植物の広がりを考えるうえでは、重要な存在のひとつです。
ARABICA
私たちが普段、自家焙煎店や珈琲専門店で目にする豆の多くは、アラビカ種(Coffea arabica)と呼ばれるコーヒーです。
一方、世界で広く栽培されているもうひとつのコーヒーに、一般に「ロブスタ」の名前で知られるカネフォラ種(Coffea canephora)があります。
日本ではロブスタを単独の焙煎豆として目にする機会はあまり多くありません。インスタントコーヒーやブレンドなどの原料として使われることが多いため、名前そのものに馴染みがない方もいるかもしれません。
アラビカとカネフォラは、現在では別の種類のコーヒーです。
ところが、その系譜をずっと昔まで遡ると、少し意外な関係があります。
アラビカは、Coffea canephoraにつながる祖先と、Coffea eugenioidesにつながる祖先が、自然の中で交雑して生まれた植物だと考えられています。
人が品種改良によってつくったものではありません。
人が珈琲を飲むようになるよりもはるか以前に、異なる二つのコーヒーの系統が自然に交わり、その子孫としてアラビカが生まれました。
私たちが今ひとことで「アラビカ」と呼んでいる珈琲にも、その前にずいぶん長い植物としての歴史があります。
ETHIOPIA
アラビカの自然分布域は、エチオピア南西部を中心に、南スーダン東部やケニア北部まで含む地域とされています。
なかでもエチオピアには、現在もアラビカの大きな遺伝的多様性が残っています。
ここで大切なのは、
「エチオピアがアラビカの故郷」
=「そこにひとつのアラビカ品種があった」
ではないということ。
エチオピアには、土地ごとの環境や人による長い選択の中で受け継がれてきた、多様なアラビカの系統があります。
世界各地の珈琲を見ていると、
と、はっきりした品種名が並びます。
それに対してエチオピアでは、
という、少し曖昧にも見える名前が現れます。
でも、これは「品種がよく分かっていない」というだけの話ではありません。
むしろ、その逆です。
LANDRACE
Landraceとは、ある土地で長く栽培され、その土地の自然環境や農業、人による選択の中で地域に適応してきた伝統的な系統を指します。
エチオピアには、こうしたLandraceが数多く存在しています。
ですから、
品種:在来種
という表記は、ティピカやブルボンのようなひとつの品種名ではありません。
ある地域で受け継がれてきた複数の系統をまとめて示していたり、個々の系統まで特定せずに流通していたりします。
短い「在来種」という一語の後ろに、
実際にはかなり多様なコーヒーがある。
そう考えた方が分かりやすいと思います。
ただし、エチオピアの珈琲=すべて在来種でもありません。
エチオピアでは研究機関による品種の選抜や育種も行われています。
Jimma Agricultural Research Center(JARC)は、地域に合わせた42のコーヒー品種をこれまでにリリースしています。
「在来種」という言葉は、品種が存在しないことを意味しているわけではありません。
ひとつの品種名では括りきれない多様性が、
今も残っている。
その方が実態に近そうです。
ACROSS THE RED SEA
エチオピアに存在していたアラビカは、やがて紅海を越えてアラビア半島へ渡ります。
向かった先は、イエメンです。
正確にいつ、誰が最初に種を運んだのかまでは分かっていません。
ただ、歴史資料と近年の遺伝研究から、エチオピアのコーヒーがイエメンへ渡り、そこで農作物として栽培されていったことが分かってきています。
GEOGRAPHIC RELATION
ここでイエメンを、
エチオピアから世界へ向かう途中の
「通過点」
とだけ考えると、少し違います。
珈琲はそこで栽培され、人が選び、その土地の環境の中で受け継がれていきました。
イエメンに残るアラビカを遺伝的に調べても、複数の系統が存在することが分かっています。
エチオピアで生まれたアラビカが、
イエメンで「栽培する珈琲」として時間を重ねた。
そこが、この先の世界への広がりにつながっていきます。
YEMEN
植物としてのアラビカを遡ると、エチオピアにたどり着きます。
一方、現在につながる飲み物としての珈琲が歴史資料の中ではっきり見えるようになるのは、14〜15世紀ごろのイエメンです。
16世紀に書かれた記録には、15世紀のイエメンで、スーフィーと呼ばれるイスラム神秘主義者たちが夜の祈りの際などに珈琲を飲んでいたという話が残されています。
眠気を抑え、長い夜の祈りを続けるための飲み物として使われていたとされています。
ここでようやく、
現在の私たちにも馴染みのある「飲むための珈琲」が見えてきます。
植物としての故郷はエチオピア。
その植物が渡り、栽培され、飲み物としての文化が大きく育った場所がイエメン。
「珈琲発祥の地はどちらか」と一つに決めてしまうより、この二つの土地の間にある流れを見る方が、珈琲の始まりは分かりやすくなります。
MOCHA
イエメン西部の紅海沿岸に、モカ(Al-Makha / Mokha)という港町があります。
近世、この地域は世界の珈琲交易の中心のひとつになりました。
イエメン高地で栽培された珈琲は交易地へ集められ、モカをはじめとする紅海沿岸の港から各地へ運ばれていきます。
ヨーロッパの商人も、この港へやって来ました。
やがて港の名前である「Mocha」が、
そこで扱われる珈琲の名前としても使われるようになります。
そして「モカ」という呼び名は、イエメン産だけにきれいに限定され続けたわけでもありません。
紅海やアデン湾を挟んだエチオピア側の珈琲にも、商取引の中でMochaという名称が使われるようになりました。
日本で長く親しまれてきた、こうした名前があります。
エチオピアの地名の前に、なぜイエメンの港の名前が付いているのか。
その背景には、
紅海を挟んで続いてきた
珈琲交易の歴史があります。
NAME FLOW
イエメンの
港の名前
港で扱われる
珈琲の呼び名
紅海周辺の
珈琲にも使われる
モカ・ハラー / モカ・シダモ
など
OUT INTO THE WORLD
ここで、もう一度エチオピアの「在来種」の話へ戻ります。
エチオピアには、多様なアラビカがありました。
その中の一部がイエメンへ渡る。
さらに17世紀末以降、イエメンで栽培されていた珈琲の中から、ごく少数の木や種子が国外へ持ち出されます。
それがインド、ジャワ、ヨーロッパ、カリブ海、中南米へと広がり、現在よく知られているティピカ系統とブルボン系統を中心とする世界のアラビカ栽培の大きな基礎になりました。
世界中に珈琲は広がりました。
でも、エチオピアにあった遺伝的な多様性のすべてが、世界へ広がったわけではありません。
エチオピアでは大きく枝分かれしていた系譜が、
世界へ出るところで一度、細い道を通った。
そのため、世界各地で栽培されるアラビカには、遺伝的な多様性がかなり限られている系統も多くあります。
反対に、エチオピアの森林や在来系統に残る多様性は、病害や気候変動に強い珈琲を考えるうえでも、現在あらためて重要な遺伝資源として見られています。
ここまで来ると、
なぜエチオピアでは
「在来種」という表記に出会うのか。
その意味も、最初とは少し違って見えてきます。
LEGEND
珈琲の発見といえば、有名な話があります。
山羊飼いのカルディが、赤い実を食べて元気に跳ね回る山羊を見つけ、その実に不思議な力があることに気づいた――。
珈琲の本などで、一度は目にしたことがあるかもしれません。ただ、この物語を歴史的な記録として扱うのは難しそうです。
現在のカルディ伝説につながる古い印刷資料として確認されているのは、1671年にローマで出版された珈琲についての文献です。
しかも、そこに現在知られている「エチオピアの山羊飼いカルディ」が、そのまま登場するわけではありません。
最初期の記述では牧夫にカルディという名前はなく、舞台も現在よく語られる形とは異なっています。
その後、話はさまざまに変化し、20世紀に入って、現在よく知られているカルディの物語へ整えられていったことが研究されています。
伝説として残ってきた話と、
資料から確認できる歴史とは、
分けておく。
そのくらいの距離が、ちょうどよさそうです。
そして、ここまでアラビカの系譜を遡ってみると、「誰が最初に珈琲を発見したのか」という問いよりも、
一つの植物が、どうやって人と出会い、
栽培され、飲み物になり、世界へ渡っていったのか。
その方が、ずっと長い話だったことが分かります。
FROM ORIGIN TO CUP
ORIGIN ETHIOPIA
VARIETY LANDRACE
PROCESS NATURAL
数行の商品情報です。
でも、ETHIOPIAという産地名を遡れば、アラビカの故郷につながります。
LANDRACEという言葉の後ろには、ひとつの品種名では括りきれない多様な系統があります。
そして「モカ」という昔からの呼び名をたどれば、紅海の向こう側にあるイエメンと、その港から続いた交易の歴史が見えてきます。
さらに、その多様なアラビカの一部が細い道を通って世界へ出て、ティピカやブルボンをはじめとする現在の珈琲へつながっていきました。
知ったからといって、珈琲が急においしくなるわけではありません。
けれど、いつも見ている
「産地」や「品種」という文字が、
少し違って見えてくることはあります。
一粒の豆がここまで来るまでには、思っていたよりずっと長い時間がありました。
REFERENCES
淡島珈琲は、珈琲の歴史を専門的に研究している立場ではありません。
このページでは、日々扱っている生豆に書かれた産地や品種、「モカ」などの呼び名を手掛かりに、研究機関、植物学資料、歴史資料などを参照しながら、現在の一杯につながる流れをたどりました。
珈琲の初期の歴史には、現在も分かっていないことや、複数の説が残されている部分があります。
そのため、伝説と資料から確認できる事実を区別し、明確に確認できないことについては断定しないようにしています。
Coffea arabica L.
Plants of the World Online.
Coffea arabicaの自然分布域、植物学的な位置づけを確認するための資料。
History of Arabica
エチオピアからイエメンへの移動、Ethiopian Landrace、Typica / Bourbon系統が世界へ広がった流れを確認するための資料。
Coffea Arabica Genome
Coffea arabicaがC. canephoraとC. eugenioidesの交雑に由来する異質四倍体であり、44本の染色体を持つことを確認するための資料。
Ethiopia
エチオピアのコーヒー研究、Jimma Agricultural Research Centerによる品種選抜・育種についての資料。
Geisha, Panama
1930年代のエチオピアでの採集から、タンザニア、CATIE、パナマへと移ったゲイシャ系統の来歴についての資料。
Yemeni coffee — how genetically diverse is it?
イエメンのアラビカに残る遺伝的多様性を理解するための資料。
Coffee
イエメンにおける初期の珈琲飲用、スーフィーとの関係などを確認するための資料。
Your Mocha is Named After the Birthplace of the Coffee Trade
イエメンの港町Mochaと、珈琲交易・「Mocha」という呼称の関係を確認するための参考資料。
The legend of coffee origin in the first coffee treatise “De Salubrrima Potione Cahue seu Cafe Nuncupata Discursus” (1671): A History of appearance and transformation
The Journal of Korea Coffee & Culture Study, Vol.7, No.2, 2021, pp.27–54.
DOI: 10.23435/jkcc.2021.7.2.27
カルディ伝説の初期資料と、後世に現在の形へ変化していった過程についての研究。
※歴史研究や遺伝学研究は今後更新される可能性があります。本ページでは、制作時点で確認できた資料をもとに構成しています。